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自分の「色」(父の友 第三回)

2022/8/22

 私たち夫婦は十二年ほど前から服の色を決めている。妻は赤、私は青だ。クローゼットには青いシャツが五十着以上と靴下が百足以上入っている。今から十年ほど前になるが、夫婦の共有物は黄色と決めた。黄色の導入を決めたのは、黄色の車(シトロエン2CVだ)を購入したからである。シトロエン2CVとはカタツムリの形をした古い車で、戦後はタクシーでかなり使われていた大衆車である。結構可愛い。そのころ子供ができた。子供の色も黄色に決めた。

 娘ができて二年半後に息子が生まれた。息子の色はどうしようかと考えていたのであるが、暫定的に黄色でスタートした。下の子はお下がりを着るので当然の成り行きなのであるが、そこへヒヨコは黄色だから子供は皆黄色でいい、という乱暴な論理を導入し自分たちを納得させていた。ヒヨコは何れ自分の色に育っていくに違いないと思っていたからである。

 ところが娘にとって黄色はアイデンティティー。自分の色が取られるのは面白くない。あるときから、娘が勝手に弟は黄色の中でも薄い色に限ると決めた。実はこれも当然といえば当然のことなのだ。お下がりは洗いざらしなので、古くなれば色は段々薄くなってくる。ところが息子とすれば薄くても濃くても黄色は黄色である。

 結果として争いが起こる。娘はブナ、息子はシイというのだが、「ブナちゃんはシイちゃんのお姉さんなんだからね」と、保護者意識を育てることで納得させようとしたものの、息子が大きくなるとそうは行かない。最初はちいちゃくて何も出来なかった弟だが発育が良いせいもあって、あっという間に十二キロに育った。力も強い。男の子なので乱暴である。大喧嘩になる。しまいには「シイちゃんなんか大嫌い」と娘は涙を浮かべることしばしば。

 しかしある日、娘は弟に緑色の積み木を「これシイちゃんのね」と与え始めた。弟には緑を与えて自分は黄色の所有権を確立しようという極めて政治的な動きである。今では娘の作戦が成功して、息子は次第に緑色に移行しつつある。

 息子は自分のアイデンティティーができてうれしいようである。先日緑色のダウンのベストを買った。着せると喜んで家の中でも脱がない。無理に脱がせようとすると、一人前に鼻をならして文句を言う。結局汗をかきながら寝るまで着続けていた。緑色のコップを買うとうれしそうに何処にでも持って歩く。緑色の弁当箱を買ってきて見せると、一時間以上開けたり閉めたりしてニコニコしていた。なるほど子供のアイデンティティーは大切なんだなと思う。

 色を決めると洗濯が楽である。我が家では洗濯と物干しは夫の役目である。子供はなんと言っても洗濯物が多い。一日少なくとも二回、多いときは三回洗濯機を回す。これを妻は分類して引き出しにしまう。弟が小さいうちは、同じ黄色でも大きさの違いがあったので解りやすかったが、大きくなってくると区別を付けにくい。娘と息子を並べてみると身長は二十センチ近く違うのであるが、胴体はさして変わらない。頭にいたっては息子の方が大きい。女の子と男の子は小さいときから違うんだなと思う。首が長く頭が小さくスマートな草食恐竜とデカ頭のゴツイ肉食恐竜の違いである。ズボンは容易に区別が付くが、上着のほうは難しい。私と妻の洗濯物の分類は簡単だ。赤は右、青は左と、やってしまえば終わりである。子供が黄色一色の時は大変であったが、緑にしてしまえば簡単だ。青赤黄緑に分ければ良い。

 色を決めると社会でも良い事がある。娘は保育園に行くと、友達が「これブナちゃんの」と黄色のおもちゃを持ってきてくれる。世の中のおもちゃには黄色のものが多い。大変得である。黄色の物に囲まれて娘は御満悦だ。先日娘のお友達から黄色のシャツを貰った。「これはブナちゃんの色だから着ない」という理由で、折角買ってもらったシャツをその子は着ないのだそうである。

 ふと保育園で周りを見回してみると黄色のシャツの子は少ない。ということは他の子も同じように感じているということなのかもしれない。将来、できれば息子も同じ保育園に入れたいと思っている。これで息子が通うようになると保育園の黄色と緑をきょうだいで独占してしまうのであろうか。

 黄色と色を決めて人生をスタートすると困ることもある。先日、体操教室の体験入学に行った。運動神経は結構良いはずなのであるが、うまくいかない。先生が「はい、緑の線に皆さん並んでー」と言っても、娘だけ黄色の線に一人で並んでいる。「ブナちゃんは黄色の線が良いのー」と娘はのたまっていたそうである。私はその場に居なかったので、妻からの又聞きであるが、微笑ましくもあると同時に心配である。

 保育園で先日いろんな色の鬼が出てくる劇をやったが、勿論娘は黄鬼である。先生も気をつかって下さっているのだろうが、多分娘も当然私は黄色と思っているに違いない。お絵かきを始めたころは、使うクレヨンは全て黄色であった。残念ながら黄色は白い画用紙の上であまり見えない。最近は娘もそれに気がついたようで、カラフルな絵を描き始めた。

 娘が黄色ばかり着ていると心配する人も沢山いる。同じく建築家の妹島和世さんは「かわいそうにねえ。そのうちピカピカの花柄の服買ってあげるからね」とまで言って下さった。そうか、かわいそうに見えるのか。そういえば私の母親、すなわち娘のおばあちゃんは花柄を平気で娘に買ってくる。妻によれば娘は花柄模様を見つけるとクッションだろうと服だろうと物珍しげに見入っているらしい。

 しかしながら今のところ、娘は自動的に「ブナちゃん黄色―」と黄色を選んでいる。息子も緑のジャケットを汗をかきながら今日も家の中で着ていた。彼らも自分の色があることで幸せそうである。我々にとって現状は楽である。世の中の子供用品に黄色や緑は多いからだ。ただし黄色の製品には何時もアヒルかヒヨコ、緑にはカエルのキャラクターがくっついてくるのが玉に瑕ではあるが。今のところは無理せず現状を続けることとした。将来自分で色を選びたくなったら、自立の証だ、と喜んでやろうと思う。またもしこのまま同じ色でずっといてくれたら、それはそれで二十年後に大人四人で旅行するときっと楽しいだろうと思う。(完)

(初出:母の友2007年4月号 父の友)
(絵:佐藤直行)

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