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311に向けての備忘録その2 浮かんだ三つの疑念

2023/3/23

■疑念1
プレハブへの疑念

なぜ仮設なのかという疑念が浮かんだ。私は仮設建築を好まない。ユニセフからの依頼は津波で流された幼稚園の仮設園舎設計であった。「なぜ仮設なのですか」と問いかけた。実はユニセフの担当者も強い疑念を抱いていた。仮設建設予定の土地は高台にあって、住宅地も近くにある。改めて移転する必要はない。プレハブ建築は決して安い品でない。プレハブは組み立て分解して繰り返し使えることを主眼としているから、一回限りの値段設定にはなっていない。かつてジャン・プルーヴェが思い描いた、高品質を目指した工業化住宅と現場事務所用のプレハブは目的が違うのだ。現場小屋のようにコスト重視の仕事場ならともかく、住宅や学校が寒くては使い物にならない。今回の災害では仮設の使用期間が長引くことは目に見えていた。「被災地だから仮設を作ることが相応しい」という思い込みに騙されていないか?仮設を作ることが美談になっていないか?ユニセフから提示された予算は常設を作るに十分でなくとも不足はなかった。多分他の復興計画も同じであろう。

■疑念2
高台移転への疑念

高台移転は必要なのか?。次の大津波は周期的にみて400年後である。前回の大津波は1611年。関ヶ原の戦いの時代である。今回は2011年であるから、順当に考えれば次回は2411年。2411年の大津波を想定して都市計画をするということは、徳川家康が2011年現在の日本を予見して都市計画をするような超絶技巧である。2000年の我々でさえ、2023年の現在を予見できていたとは言い難い。増してや400年後など架空である。

南三陸町は中央の勧めに従い震災直後に補助金申請してしまったこともあって、あれよあれよという間に盛り土で街ごと持ち上げる計画が進行してしまった。一度申請した補助金は容易に止められない。12年を経過した今、既に盛り土は完了しているが人は住めない。なぜならば大津波を避けるに十分な高さの盛り土など不可能であったからである。中途半端に津波が来ることを前提にした産業用地となった。しかしただでさえ過疎の街に越してくる企業などいない。今回の大津波を避けるためには海抜20メートルまで街全体を持ち上げなければならない。江戸城築造を遥かに凌駕する大事業になってしまう。そのことに気がついた石巻市は街の嵩上げを早々に撤廃している。しかしそれができたのは石巻市市に中央の手を払いのける経済力と規模があったからであって、小さな漁村にその力はない。

今だから語るが、釜石から岬を巡ったところにある鵜住居という地域に信じがたいことが起きた。我々はその地域の学校再建設計請負者の候補として選ばれた。その設計競技に先立ち私達は現地調査に出かけた。その鵜住居には津波をようやく生き延びた女将がいた。鵜住居の神社の巫女を務めてきた家だという。そこで鵜住居の裏山を守ってほしいという訴えがあった。我々が取り組む学校再建計画を含む高台移転は鵜住居の裏山を崩すことを前提としていた。しかしその崩されるべく裏山は縄文から続く御神体で様々な神事が行われてきた聖地なのだという。その山を神主の家が守ってきた。神主は地域の代表として山を守ってきたのである。その神主一家が流されてその土地が人の手に渡った。それから紆余曲折を経て国のものとなった。地元にとっては神聖な山でも、東京の政府にとっては単なる岩である。私を含め数人の建築家はそれに気づき、それを止めようとしたが、その意見は通らなかった。

一介の建築家である私に決定を覆すことなどできない。遠吠えが積の山である。しかしそろそろみなさん気がついて良いのではないか。400年後の大津波を想定してコンスタンチノープルの城壁や万里の長城に勝る堤防を造ることの愚かさを。江戸城より大きな土砂を人口3000人の街に積むことの愚かさを。エアーズロックに匹敵する歴史を擁する岩を破壊する暴力を。そのお金があれば元通りに同じ場所に立派な街を再建できたではないか。地域の文化も守れたではないか。400年後のことは300年後の子孫が心配した方が良い。繰り返すが、次の大津波が来る時代までには、我々と徳川家康公ぐらいの隔たりがある。鉄筋コンクリートの堤防が400年もつとは到底思えないのは私だけだろうか?

■疑念3
塩がれした銘木を小さく刻む行為への疑念

大雄寺には日光にも勝る巨大な杉並木があった。これが塩に浸かり枯れことは前にも述べた。当然枯れたのは大雄寺の杉だけではない。1000キロを超える海岸線の木々が全て枯れたのである。中央政府でその枯れた木々を燃やして電力にしようという構想が出た。事故に伴い福島第二原子力発電所だけでなく、日本中の原子力発電所への疑問が高まり止まってしまったからである。しかし火力発電所は薪ストーブになれない。普段石油を燃やしている火力発電所に丸太を焚べられるわけがない。石油ストーブに薪を焚べられないのと同じである。それに気がついた政府は、丸太を小さく刻みカツラ剥きにして合板に設えることにした。大雄寺の巨大な杉並木にもその徴兵令状が届いた。その話を住職から聞いた私は、すぐに断って下さいとお願いをした。杉は幹周り3メートルを超える銘木である。大雄寺にあった200本近くの杉は、銘木として有効活用することができた。しかしその幸運に恵まれた三陸の杉は極々一部に過ぎない。膨大な数の巨大な銘木があっという間に小さく切り刻まれ糊付けされ単なる合板になってしまった。ちゃんと使えば地域の財産になったであろうに。

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