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雑音

2023/6/19

「ふじようちえん」の空間は雑音に満ちている。ピアノの音が読み聞かせている隣のクラスに侵入してくる。ふじようちえんに音楽室はない。全ての部屋には本物のピアノがある。保育が成り立たかなくなるのではないか。子供が集中できないのでは。と考えるのが普通であるように思う。ところがふじようちえんの保育は健全に毎日行われている。なぜだろうか。

子供は雑音の中で必要な情報を選り出す能力を持っている。大人も同様である。実は当たり前のことなのであるが、ことさら教育空間となると静寂が必要条件のように語られる。おかしな話である。大切な相談を友人から受ける時、市役所の静かな一室を予約したりするだろうか?深刻な話をする場所を選ぶなら、バックグラウンドミュージックが流れるカフェの一角が良い。

人間にとっての静寂とは音のない事ではない。完全な無音は人間にとって毒でもある。寂とはそもそも趣深さを感じられる美意識である。静寂を表現する音楽は無数に存在する。心は無音を望んでいない。静かであるはずのせせらぎは雑音に満ちている。アンビエントサウンドとは心地の良いバックグラウンドノイズのことである。

人は驚くべき聴力を持っている。無風の砂漠のような極めて静かな環境であれば、人は5キロメートル離れていても会話ができる。山彦という現象がある。山彦は自分の叫び声が谷の反対側の尾根に跳ね返された音である。谷の反対側は何百メートルも離れている。その距離を声は往復する。しかも森は殆どの音を吸収してしまう。その微かな音を人間の耳は聞き分けるのである。ラジオの収録スタジオは丁寧に遮音された空間である。それでも静かにしていると部屋の外の音が聞こえてくる。完全な遮音は極めて難しい。東京でその能力を試すことはできない。バックグラウンドノイズが不必要な情報を隠すからである。

川越に20年以上に前に設計したミュージションという音大生にターゲットを向けたプロジェクトがある。当時としては珍しい居住型の音響スタジオである。そのプロジェクト以前の音大生向けマンションは、居住空間と練習室を分けていた。いわば練習室付きのマンションである。理由は居室と練習室を分けてけじめをつけたいという理由もあったようであるが、それ以上に遮音の練習室の環境が居住に適さないという事情がある。無音の部屋は不快である。加えて、外の音が聞こえないと、耳がより敏感になり隣の部屋の音が余計に聞こえてくるという事情がある。これを川越のミュージションでは、界壁を抜けてくる音と、外から回り込んでくる音がバランスするように設計をした。要は敢えて外音を入れることで、隣の音を気にならなくしたのである。近年ではこの理論が普及し、練習室でも外音を遮断する完全遮音を避ける仕様が増えてきている。

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